藤江監物(ふじえけんもつ)祀り音頭を守る会

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【藤江監物(ふじえけんもつ)祀り音頭を守る会】(会長:佐藤勝美)

 藤江監物は、江戸時代中期の延岡藩主・牧野貞道の家老でした。荒地同然の水田が広がる出北地区の農民を救うため、監物は郡奉行の江尻喜多右衛門に命じ、岩熊と貝の畑の間の五ケ瀬川に井堰(いせき)を構築し、農業用水路を開削する工事を実行しました。

 堤長200メートルを超える井堰と、全長約10キロにおよぶ用水路工事は困難を極め、しかも度重なる洪水で藩の財政はひっ迫、監物は軍用金流用などの疑いをかけられ、息子3人とともに日之影舟の尾の牢に閉じ込められました。

 入牢4カ月後の享保16年(1731)8月1日、長男の図書が死去。26日後には監物も獄死しました。

 事業は一時中断しましたが、監物の遺志を受け継いだ喜多右衛門は工事を再開、着工から10年後の享保19年(1734)、岩熊井堰と出北用水路が完成しました。

 これによって、出北地区の荒地は131ヘクタールの美田に生まれ変わり、藩は750石の増収をみました。のちに監物の冤罪が証明され、監物の次男・多治見と3男・川崎右膳は釈放、厚遇されました。

 出北地区の住民は、水を得た魚のように喜び、観音堂を建てて監物と喜多右衛門を祭りました。以後、地元住民や延岡市内の農業関係者らは、毎年旧暦8月18日の監物の命日に、舟の尾の監物父子の墓所に参拝。翌日、出北観音堂で慰霊祭を行っています。

 慰霊祭に合せて奉納されるのが「藤江監物祀り音頭」です。ハッピ姿の子供たちにとっては日ごろの練習成果を披露する晴れ舞台。手に手にバチを持ち「ドン・カッコカ」と、威勢よく太鼓を打ち鳴らし、音頭を唄います。
 この音頭が消滅しそうになったことがあります。後継者が減り、地区外の人が太鼓打ちをするようになったからです。
 出北に生まれ育った佐藤勝美さんは「このままだと、出北音頭が風化してしまう」と、5年前に地元の子供会に呼びかけ「藤江監物祀り音頭を守る会」を立ち上げました。

 佐藤さんは「音頭を守るためには、子供たちに藤江監物と岩熊井堰、出北用水のことを知ってもらう必要がある」と、平成23年度、文化庁の補助を受け、冊子「出北ものがたり」作成、出北地区を校区に持つ東小学校に700冊贈りました。

 さらに、平成24年度は紙芝居「岩熊井堰ものがたり」を作り、地元住民や東小学校児童を対象に公演しました。

 冊子「出北ものがたり」と紙芝居「岩熊井堰ものがたり」は、出北地区の子供たちのみならず、延岡市内の子供たちに、先賢が残した事業を伝える教材として、十分活用できる内容になっています。