北川家田(えだ)虫追い保存会

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【北川家田(えだ)虫追い保存会】(会長:黒木好也)

 「家田虫追い」は、延岡市北川町の田園地帯・家田地区に伝わる稲の害虫を追い払う行事。

 平安時代末期、源氏と平氏の争いが続いていたころ、名将・斉藤別当実盛は、乗っていた馬が稲の切り株につまづき、転倒したところを討たれました。その実盛の怨霊が稲の害虫になったと言う伝説が、虫追い行事の由来とされています。

 この行事は全国各地に残っており、宮崎県内でも各地に見られましたが、伝承者が減るなどして、県内では延岡市北川町の家田地区に残るのみとなりました。

 家田の虫追いも、消滅の危機にさらされたことがあります。最初は昭和18年から20年までの3年間途絶えた。理由は灯火管制でした。

 戦後すぐに復活したが、昭和24、5年ごろ今度は農薬の普及が、またも伝統を断ち切りました。虫が激減して、虫追いの意味がなくなったというのです。

 その後長い間忘れられていましたが、昭和53年、「北川温故知新の会」を立ち上げた黒木重代司さんが中心となり、少年時代を思い起こして子供会のキャンプで行っていたものを、地区の行事として復活させました。

 お盆の夕暮れ、虫の霊をワラ人形の形代に移し、それを十数人の子供たちが松明(たいまつ)をかざして囲み、鉦(かね)、太鼓に合わせて「供やぁ供やぁ御供やぁ ようい(よろい)の虫も御供やぁ 斉藤別当実盛どんのご陣立ち あとはすっきり満作じゃあー」と「虫追い唄」をうたいながら、田んぼの周囲を歩きます。文字通り、飛んで火に入る夏の虫を焼き払います。

 日本に失われつつある牧歌的で、のどかな光景がここにはあります。

 「私たちが子供のころは、虫追いが楽しみでした。今の子供たちも喜びます。鉦や太鼓の囃し方などは、黒木好也会長のおじいさんの千吉さんに教わりました。千吉さんがおられなかったら、復活できなかったと思います。8月になると稲の穂が出ます。これに害虫のウンカがつくのです。私たちはウンカのことをサベと呼んでいました。昔は松明をかざすと、色んな虫がいっぱいたかって来ました。街灯が真っ黒になるくらい虫がいましたが、最近は虫の数も減りました。でも、虫追いは絶えることなく伝えていきたいと思っています」と、黒木重代司さん。

 虫追いが復活して30数年、今は家田地区の年中行事として定着しています。

 家田地区には、絶滅危惧種など貴重な動植物が生息する家田湿原があり、隣り合う川坂地区には川坂湿原があります。黒木さんらは伝統行事の伝承と同時に、湿原の保存にも取り組んでいます。

【平成15年の虫追い行事】